ビクトール・フランクルの生涯
ビクトール・フランクルは、オーストリア生まれの精神科医で、心理療法の一つであるロゴセラピーの創始者である。
彼は1905年にウィーンで生まれ、1997年に同地で亡くなっている。彼はウィーン大学で医学を学び、その後ウィーンの精神病院で働く。
ナチス・ドイツがオーストリアを併合後、彼はユダヤ人であったために自身の診療所を閉鎖に追い込まれるが、彼はウィーンのロートシルト病院の神経科部長に就任している。
1942年に彼は家族と共にテレジエンシュタット強制収容所に送られ、その後アウシュヴィッツとベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送され、結果的に彼だけが生き残った。
彼は収容所での経験を通じて、人間が意味を見つけることで生き抜く力を持つという理論を構築し、その理論を「ロゴセラピー」と名付け、後に彼の最も有名な著書「夜と霧」で詳述している。
戦後、フランクルはウィーンに戻り、ウィーンのポリクリニック病院の神経科部長に就任し、その生涯をウィーンで終える。
1900年代のウィーンの様子
ビクトール・フランクルが生きた1900年代のウィーンは、文化、芸術、知識の活動が活発な都市で、特に1900年代初頭は、特権階級が政治を行うアリストクラシーと政府の介入を最小限に抑え、個人の自由と権利を尊重する自由主義知識人の中心地であった。
そんな中、反ユダヤ主義とユダヤ人の安住の地を建国しようというシオニズムという対照的な要素も共存していた時代であった。
この混沌とした環境の中で、ウィーンには、画家、作家、音楽家、建築家、舞踏家、医師、心理学者、哲学者、法律家、経済学者など、様々な分野で活躍する人々が集まっていた。
ロゴセラピーとは
ビクトール・フランクルが開発した「ロゴセラピー」の理論は、人間が生きる意味を見つけることで生き抜く力を持つという考え方を中心に据えている。
ロゴセラピーは、人間が生きる意味を見つけることによって、苦しみを乗り越える力を持つことができるという考え方を提唱している。
人間が生きる意味を見つけるためには、次の三つの方法があるとしている。
- 創造的価値(作品を作るか、仕事を達成すること)
- 経験的価値(世界から何かを受け取ること)
- 態度的価値(苦しみ、病気、死といった苦痛を受けること)
態度的価値に人間がどのように生きる意味を見つけるかについては、生命の大切さや今を大切に生きることの重要性を苦しみを通して感じることができる。
これら3つの価値を通して経験したこと、感じたことが学びとなり、生きる意味を見つけることに繋がると提唱している。
彼は収容所での経験を通じて、家族は誰一人生き残ることができなかった状況で、たどり着いた理論を著書「夜と霧」に詳しく書き残している。
人生という荒波を生きるうえで非常に価値のある理論である。